言うまでもなく、人間と妖怪の対立構造は幻想郷に取って必要不可欠なものである。

『対立』というくらいなのだから、そこに対立する両者の存在は必要不可欠だ。

互いに対立しつつ、それでいてその関係自体が互いを保証し合っているというのは、

考えてみれば妙なものである。

歪ともいえるかもしれない。事実、この愛すべき両者の関係は幾度となく危機に晒されてきた。

しかしそれは訪れた危機が幾度となく退けられた、ということでもある。



「困ったときはお互い様、よ」



妖怪の少女は極限まで屈託を薄めた笑顔を彼に向けて店を出た。

彼女自身は気づいていないが、この笑顔を見て心安らかになる人間は存在しない。

半分だけ人間の妖怪(あるいはその逆か)の店主も、どうやら彼女の笑顔に不吉を感じたらしい。

「一難去ったわね。音の力というのも馬鹿にはできないということかしら」



少女は独りごち、手の中にある『音楽を奏でる白い箱』を弄ぶ。

外の世界の林檎だか蜜柑だかいうメーカーが作った電子機器は、

人間と妖怪のハーフというアンビバレントな存在である彼をいとも簡単に刺激し、結界の外へと弾き出した。

そこで彼が目にしたのは見覚えのある鳥居と大勢の人間たち。

その日、参拝に訪れた人間の数は、もしかすると幻想郷の総人口を超えていたかもしれない。



彼らは現実にいながら幻想を愉しんでいた。

ドイツの哲学者が観測対象と観測者の関係について

至極当たり前な記述を外連味溢れる言葉でわざわざ後世に伝えたのは、

人間たちがその当たり前をことごとく忘れてしまうからだろう。



人間の存在なくして、妖怪の誕生なし。

妖怪の存在なくして、人間の繁栄なし。

現実と幻想は、互いを互いに内包している。

一方的に何かを観測できる権利は、神にすら与えられていない。

彼らは非常に危険な状態にある。

幻想を観測する者は、いつ幻想に取り巻かれてもおかしくはない。



少女は妖怪の賢者であり、その危惧は予言である。

例大祭も十を数え、いよいよ幻想は簇出する。